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大航海時代は、イタリア人 C による1492年のインド諸島発見でいきなり幕が開いたわけではない。
当時はすでに、十字軍の遠征やモンゴル帝国の欧州進出によって東西交流が活発化していたが、オスマン・トルコが東ローマ帝国を滅亡させてその交易を独占するなど、欧州では新たな交易ルートの開拓の必要性が生じていた。
その先鞭をつけたのは、中央集権体制が整備されて国王の力が強大になっていたスペインとポルトガルである。
両国が大航海時代を牽引しえたのは、地理的な必然性もさることながら、イスラム教勢力を討伐するレコンキスタに成功してキリスト教を布教しようとする情熱とともに、「国家主導プロジェクト」が遂行できる政治的そして財政的な体制を他国に先駆けて構築していたことが大きい。
欧州とアジアを結ぶ交易の始まりとして重要な「大航海」は、リスボンの港から出航したポルトガルの B による1498年のインド航路発見である。
だがその素地を作ったのは同国の E 王子であった。
海の向こうに国の活路を見出そうとした王子は、数学者や造船業者、地図製作者を集めて航海学校を設立し、妬世紀前半にはすでに南方への探検を始めた。
インド航路は、そうした王子の開拓精神と国家財政によって導かれた発見でもあったのである。
同国のインド洋進出は、香辛料貿易の独占とキリスト教の布教が主な目的とされていたが、金融との接点で見れば、インド航路発見は、世界的な規模での交易ネットワークの基礎が築かれる始点となったという、きわめて重要な意味をもつ。
国際金融という国家プロジェクトインド洋はポルトガルの世紀であったが、4世紀にはその海上覇権をオランダが奪い取る。
オランダの連合東インド会社は、オランダによる東方貿易独占の象徴であった。
そして肥世紀には、同じ東インド会社という名前の会社を擁する英国がオランダを退けて覇権を握った。
もともと英国は香辛料の供給地であるインドネシアなどへ進出しようとしたが、オランダに阻まれてインドを拠点としていた。
結果的にはこれが英国にとって文字どおり「金の卵」を生む地域になるのである。
大航海時代にインド洋に築かれたポルトガル海上帝国、それを打ち破ったオランダの連合東インド会社、そして大英帝国の礎を作った英国の東インド会社という3世紀にわたる交易時代は、まさに国際金融の曙であった。
だが、それらはすべて政府が背後にいて指揮をする、国家プロジェクトだったのである。
国際金融は、外交と同じように近代的な国民国家と共に生まれ育ったといってもよいだろう。
アジア交易の覇者は、1580年にスペインに併合されて海上貿易を独占する地位を失い始めたポルトガルから、ニシン漁で培った海運力を活かしたオランダへと移っていく。
政治が引き寄せた英国金融オランダ時代の特徴は、中国や日本との交易を通じて銀の獲得に成功し、欧州から銀を運ばないで貿易を拡大することができるようになったことである。
海運王国のオランダに挑戦した英国が次の覇権者になったのは、英蘭戦争で英国が勝利したのも一因ではあるが、交易の構造に大きな変化が現れ始めたことも強く影響している。
ポルトガルやオランダが独占した香料の時代が終わり、代わってコーヒーや綿織物などの取引が急増していたのである。
それらは、オランダの圧力に押された結果として英国が拠点を置いたインドから欧州に持ち込まれる商品群であった。
英国とインドの歴史的な関係は、そのまま東インド会社の社史でもある。
インドに拠点を構えた英国にとって目先のライバルはフランスであったが、英国が優位を得た背景には、それぞれの政府の「腰の入れ方」の違いがあった。
英国の東インド会社に対してフランスはミシシッピ会社で対抗、ともに国王が特許を与えた会社であったが、英国政府が東インド会社をインド統治の出先として政治的に利用したのに対し、フランス政府は商業面での関心を寄せたにすぎなかった。
英国政治が東方貿易の、そして後には国際金融の覇権を引き寄せたといってよいだろう。
四世紀後半の世界の貿易構造を概観してみると、英国の貿易収支は大幅な赤字であったことがわかる。
それは、もともと多かった原料や食料品輸入に加えて、ドイツや米国などの新興勢力から生産財を大量輸入し始めたからである。
それを海運業収入や保険料で賄いながら、徐々に利子配当収入が増えて「世界の工場」から「世界の銀行」に変身していった、というのが英国の金融立国ストーリーであるが、そこにはインドが大変大きな役割を果たしている。
インドは英国から大量に消費財を輸入したうえに、国費と呼ばれる植民地独特のサーチャージをも支払っていた。
大航海時代を経てオランダに敗れた結果として手にしたインドは、英国にとってかけがえのない宝物になった。
そのインドを利用した金融は、英国の金本位制における主導権を確立することになる。
世界をざっくりと鳥耐すれば、工業力で米独に追い抜かれた英国が両国から工業製品を輸入し、ドイツはその黒字でインドやオーストラリアから原料や食料品を輸入し、米国は貿易外取引で欧州や農業国に支払い、それらの資金が英国に貿易、貿易外取引として還流していくという構図であった。
単純にいえば、英国から出て行った資金が各国を通じて英国に還流しているわけだが、英国が膨大な海外投資を行いえたのは、英国に資金を注ぎ続けるインドのおかげでもあっ「金融御三家」台頭の背景金融の初期段階において、資金が資本に転換される形態は金貸しであり、それがクロスだ。
ちなみに英国はインドには金本位制を導入しないで金為替本位制を敷設し、英国が対インドで入超であっても金がインドに流れないような仕組みを作っている。
これでインドの黒字に相当する金は英国に止まったままとなり、英国は金流出の懸念を回避することができたのである。
こうしてアジア交易を通じて巧みな国策を遂行した英国が、国際金融の覇権を握ることになった。
英国はこの「交易と通貨」を起点とし、次のステップとしての「資金の資本化」、「資本の市場化」、さらには「資本の集積・増殖」という金融メカニズムを駆動させる「国際金融センター」への足がかりを作っていったのである。
原型をつくった M 家がボーダー取引となって国際資本市場が生まれる。
そのなかで資金を資本化していくのは、イタリアの M 家やドイツの F家、そしていまなお健在である R家などの金融資本である。
金融の歴史は政治史と違ってテキストに現れることも少ないので馴染みが薄いかもしれない。
そこで、金融が国家プロジェクトとして成熟していく過程で、金融資本がどのように生まれ育ったかを簡単に振り返っておくことにしよう。
まず金融資本即ち「金貸し」がビジネスとして地域を大きく跨いで発展するには世界的な商業の発達を待たねばならなかったのは周知のとおりである。
だが、金融が必要としたのは市場だけではない。
同時に権威という成長の土壌も金融に不可欠な要素であった。
これが「国際金融力学の滋養」となっていくのでる。
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